筋トレと右利きと左利き

筋力トレーニング等を行っていると、利き手や利き足とそうでない方の筋力に差があることに気付く事は多いと思います。

マシントレーニングだと問題になりにくいですが、ダンベルやバーベルを使う時はバランスを取る必要があるので、左右の筋力差でフラフラすることもあるでしょう。

高いパフォーマンスを求める人は、バランスを取るために苦手な方のトレーニングを重点的に行うなど工夫している人も多いと聞きます。

しかし、右利き・左利きを比べると、右利きの方が圧倒的に多いです。

人間の場合、左の脳が発達していれば右利きになり、右の脳が発達していれば右利きになるわけですが、そもそもどうして右利き・左利きの割合はなぜ均等にならないのでしょうか?

 ギターでも「左利き用」は少数です。

一部では文字を書くときや道具を使う時などに便利だからと考えている人もいるようですが、それなら「なぜ左利き文化が育たなかったのか?」という疑問も残ります。

確かに多くの言語や道具は右利きで書き、使う事を想定して作られているため、子供の頃に矯正されるという事はあるでしょう。

ただ、文化が右利きに与える影響としては日本の様に「左利きは行儀が悪い」とか、信仰心の強い民族が宗教上の理由で右手、あるいは左手でいつも物を食べるというような背景がある場合に限定されるのではないでしょうか?

しかし実際は、特別なトレーニングを行わなくてもほとんどの人は子供の頃から右利きのようです。
だから矯正を行わないお国柄でも、やっぱり多いのは右利きの方。

生まれて間もない頃の行動は特に遺伝子の影響を強く受けているということを考えると、人間は遺伝的にも右利きが多いということになります。

そうすると右利きが多いのは生物学的(進化論的)な考え方をするのが正しいと考えることが出来そうです。

例えばよく言われているのが、心臓などの重要な器官が体の左側にあるため、それを守るために色々な作業を右手で行うようになったのではないかという説。

進化論で考えるなら、これは右利きの人のほうが生存に有利なので、生き残って後の世に繁栄したという事になり、命に直結する問題だけに説得力があります。

ただ、個人的には言葉の問題も重要なのではないかと思うんですよね。

太古の昔には、人間は言葉をもたず簡単な発声でコミニュケーションをとっていたはずですが、文化が発達してくるにつれて、言葉でのやり取りの重要性が増してきたと想像できます。

結果として、口が達者な人ほど、つまり言語能力を司る左の脳が発達していた人ほど生存に有利(現代でもそうですが^^;)となり、言葉と文化の進化とともに、右利き派が大勢を占めるようになった・・・という仮説は成り立ちませんかねぇ?

奈良時代には左利きが多かったという説もあるそうですが、進化論的に考えて遺伝的特性が逆転するには時間が短すぎるような気がしますし、そもそも奈良時代の記録や習慣から推理したとして、その信頼性についてもちょっと疑問が残るように感じます。

さて、博識な訪問者の方々に、コメントをお願いするとしましょう(笑)

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